名古屋電機工業株式会社

電光情報板第1号機 (1966)


電光情報板を世に出す前の当社は、いつか自社製品を造りたいという夢を持って、大企業の下請けを通して技術を蓄えていました。そして、名古屋の地下鉄の建設の際に分電盤で指名されました。その仕事で役所に出入りしているうちに、建設省(当時)から、ある話が聞こえてきました。

関ヶ原に雪が降ると国道21号が通行止めになる。しかし、それを知らずにやってくるドライバーのせいで、いつも大渋滞が引き起こされてしまうから、大垣あたりで通行止めの情報をドライバーに知らせるような装置はないか。そんなお話でした。

全社あげての開発が始まりました。最初は、電気で差し替えられる、少し珍しい看板という発想で始まったのですが、より見やすく、使いやすくということを考えてゆくうちに、既設の電話回線で情報板を制御するという、画期的な情報提供装置ができ上がりました。

昭和41年(1966年)10月、電光情報板の公開実験が行われ、関係者やマスコミが見つめる中で実験は大成功のうちに終わりました。それから1カ月後の12月、電光情報板は大垣市内の国道21号上の歩道橋に取り付けられました。

その後、情報板は交通量の激増で渋滞に悩んでいた道路にあっという間に普及し、すぐに高速道路にも設置されるようになりました。

今でこそ情報ネットワークはさまざまなカタチで活用されています。しかし、一般加入電話回線で音声以外の信号を送るという新発想と、電光情報板というアイディアから生まれた道路情報板は、ユーザーの要望に応え、時代のニーズに合致することで今日の普及を見た、情報提供装置の先駆けです。

当社の最新の道路情報提供システムは、こちらからご覧ください。

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